2022年を”生きる”

こんにちは。ゆうすけです。

今日も、つれづれなるままにブログを書いていきます。

年始という事で、「2022年はどういう風に生きていこうかなぁ〜」とか考えてるわけですが、天中殺(よくわからん方は、検索してください!)というのもあり、

勉学に励む1年にしよう。

という、まぁ、去年とあまり変わらない豊富になりそうです。

ビジネスしたり、恋愛したり、あれこれ結果を求める・・というよりは、虎視眈々と慎みながら自分自身を成長させる1年にしたく思っております。

とはいえ、ただ机の上でじっくり本を読んだり学問したり思考を巡らせるだけだと、息詰まってしまいそうなので、

自分の足を使っていろんな場所に行き、人に出会い、挑戦をし、失敗をし・・といった、行動に根ざした「活学」をベースにしていきたいです。

というわけで、今年も精一杯、コツコツ前進させていただきます。

 

 

 

「哲学」

「宗教」

という分野と向き合い、深めていくタイミングなのかな?と思うわけです。

 

ざっくりいうと、

哲学というのは、「理屈」の範疇。

宗教というのは、「信仰」の領域のことです。

(ここであえて、範疇、領域という言葉を使っているのは、”哲学=枠組みがある”、”宗教=枠組みがない”というイメージがあるから、です。)

理屈というのは、問いによって生まれる事柄です。なぜ?と問うた時点で、何かしらの解決案が生まれると思うのですが、その解決案をまるでパズルのピースのように埋めていくことによって、この世の中の真理に到達しよう!というのが、哲学です。

でも、ゆーて、この世の中の真理って、究極的にはわからんじゃないですか。どんなに思索を巡らせても、巡らせれば巡らせるほど、”新たな悩み”が生じる。絶対の正解を求めれば求めるほど、苦しくなってくる。それが、神の創りし不条理な世の中だよね!っていう、まあ、一つの精神安定剤のようなものを”教え”と化したのが、宗教です。

 

 

「生きとし生けるもの、みんな死ぬ」

という、逃れられない運命を背負って、我々は今生を全うしていきます。

となるとやはり、「どうせ死ぬなら・・」という発想が生まれてきますよね。どうせ死ぬなら、こういう事をしよう、って。

好きな人ができたとして、「どうせ死ぬなら、思いを伝えよう」と決意し、告白したり、いきたい場所があるなら、「どうせ死ぬなら、一生に一度あの景色を見てみよう」と決意し、旅行に行ったりする。

そこに人は、生きがいを感じる・・。人の一生なんて、そんな感じでしょう。

 

 

 

24時間、常にそんなことを考えながら暮らしているわけではありません。

今日が最後の日だったら・・・

そんなことを考えながら、死を想像し、限りある命を全うしよう!と熱く生きることができたなら・・そんな覚悟があったなら

ものすごいエネルギーが湧いてきて、エジソンばりの天才的な発明だって可能かもしれません。

ですが人間というのは弱い生き物で。現実というのは思い通りにいかないわけで。

生きている事が当たり前。

今日ある事が当たり前。

明日ある事も当たり前。

アレができるのも当たり前。

あの人と会えるのも当たり前。

地上に生まれて、様々な人と出会って、多くの作品に触れる事ができて・・素晴らしき日常であるのに、、

”あるもの”に対する感謝を忘れ、

”ないもの”ばかりに目がいってしまい、

現状に不満が生まれ、「もっともっと・・」と、更なる豊かさを求めてしまう。

 

そんな、ないものねだりな日々を送っていった末、

最後の方には、「まぁ、こんなもんかな。まぁ、私の人生結構良かったと思う!うん!」といった感じに、正当化しようとする。本当はもっと、こういう風に生きたかったけど・・とか、心の奥底に不満を抱えながら。

 

 

 

 

俺は絶対、そんなの嫌だ。

 

絶対に、嫌だ!!!!

 

だから、これだけは譲れない。

死ぬ瞬間に、後悔だけは、したくないんだ。

 

だから、悔しいけど、

人の幸せを祈るし、感謝するし、自分の欲求を押し殺す(殺せない事ばかりです。笑)

生きていることに感謝。

どうせ生まれたなら・・どうせ生きているなら・・・

折角なら、多くの人の人生に光を灯すような、一生でありたい。

 

 

そのためにも、俺はつくり続ける。

今年は特に、たくさんの作品を。

 

形はなんだっていい。

文章でも良いし、絵でもいいし、踊りでもいい。

音楽でも、料理でも、お菓子でも、洋服でも。

 

芸術は、枠組みを溶かすもの。

 

 

 

「こうあるべき」が生まれた瞬間、それは芸術じゃなくなる。

 

 

 

「こう生きるべき」が生まれた瞬間、それは芸術家ではなくなる。

 

だから

 

どんなクソったれだろうと、受け入れてやる。

どんなクズだろうと、向き合ってやる。静かに、幸せを祈ってやる。

くそおおおおお

なんで俺、こんなにも人の幸せを祈れねえんだ!!!!!

どうしてこんなにも無関心なんだよ!!イラつくんだよ!!

くそおおおお!!

(静かに祈れる日が、果たして来るのでしょうか。笑)

 

はい、所詮僕は、未熟者です。笑

なので、哲学も宗教も全部取り入れて、一瞬一瞬を大事に生きようと思います。

毎日が戦いの連続です。

 

怠惰な自分との戦い。

弱い自分との戦い。

自信のない自分との戦い・・。

 

くぅうう。

 

あ、こういう風に書くと、「自分のこと嫌いなの?」とか思うかもしれませんが、好きなのでそこはご容赦ください。

自分のこと、好きです。

そして、なんだかんだ言って、信じてます。

 

自(分を)信(じる力)、あると思います。

 

だからこそ、鞭打って、

「おめえそんなとこで満足してんじゃねえぞ!!常に成長し続けろこんにゃろう!」

と、はっぱかけてるんです。

 

 

つれづれなるままに書きましたが、要は何が言いたいかというと

 

2022年。

今年も、一人でも多くの人の心に光を灯し、人生を救い、成長を促し、悟りを与えれるよう、1日1日を、刻んでいきます。

・・・が、

未熟者なので、勉学に励ましてください!

て、感じです!

 

では、今日はこの辺で。

ありがとうございました!

 

 

 

2022年を”生きる”

© 2022 つれづれなるままに。 Powered by AFFINGER5